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日々想うコト

趣味(単車、旅etc・・・)、仕事、時事等々、独り言をつらつらと書き留めておきますか。

素朴な疑問 その1 -自動車(バイク)ローンの月額-

2007.07.20/Fri/11:31:13

 人間、ある程度歳を積み重ねれば、世の中の大概のことは、例え多少の理不尽さがあったとしても、理解(と言うより納得か)出来るようになるものだ。

 それは単なる思い込みや、思い込むことによって精神の平衡を取っているだけなのかもしれないが、本人が何かしら納得する答えを見つければ、他人からは「何故、そんな解釈なの?」と思われるようなことであっても、当人にとってはそれでいいんだと思う。

 前振りはこれくらいにしておいて・・・

 それでも、「どうして?何故?」という事は、それなりにあるものだ。

 実は、Blogを始めようと思ったきっかけの一つに、「何故?」という素朴な疑問を誰かから教えてもらうことだった。

 今の世の中、便利になったもので、「教えてGOO!」など、こんな疑問・質問に特化したサイトもあるので、ただ知りたいだけならば、このようなサイトで問うほうが効率が良いだろうとは思う。

 しかし、単に答えを知りたいというよりも、「そうだよね?」、「何故なんだろうね?」のような相槌や、「あっ、それ知ってる」といった突然の回答など、これまでこの駄文ブログにお付き合い頂いている方々で、以前は読まれるだけだった方々にも、ご自分の考えなどをコメントで頂く、そういうコミュニケーションの機会になればと良いなと思います。

 コメントを頂く方々同士の誹謗中傷、例え公人に対しても聞くに堪えない罵詈雑言以外は基本的にOKなので見知らぬ初めての方もどんどんコメント下さい。

 勿論、今までコメントを頂いている方々も大歓迎。宜しくお願いします。

 さて、第一弾は自動車(バイク)ローンについて・・・

 自動車ディーラーに行くと、展示車両の説明看板に、車種名やスペック、車両価格などと一緒に「月々*****円から」お求めいただけますと書かれているのをよく見かける。
 ちなみに、最近の車両価格には、本体価格ではなく諸費用を含めたトータルでの購入価格を載せている場合が多いが、これは公正取引か何かの関係でそのような行政指導があったからと記憶している。

 さて、この「月々*****円から」についてが今回のお題。

 この「から~」で使われる支払回数は限度最長の場合が多いが、まぁこれは許せる話だ。
 最近では、バリューローンなどと呼ばれる(業者によって呼び名は異なるが)残価設定型のローンが使われるケースが多く、それって支払い終わっても所有権はこっちに無いというのはどうかと思うが、これも「使用権」として考えれば、これも許せる範疇だろう。

 月々を小さく見せるために、実はボーナス払いをMaxに設定しているのは少々微妙な話だと思う。
 以前、ボーナス払いの限度額はローン額の半額までが最大と聞いた覚えがあるが、ボーナス限度額で設定するってことは、年間支払額の半分をボーナス払いで対応する訳だから、その金額は突出して大きい訳なのだが、以前のように控除制度として給与と賞与が別扱いで、賞与の方が手取り額的に有利だった時代ならいざ知らず、今のご時世、ボーナスが突出して多い企業なんて稀だと思うので、この表示はイエローカードとは言わないが、まぁ、軽いファウル程度の反則だろう。

 しかし、最も疑問に思うのは、「頭金」という支払い元金を一気に減らせる秘密兵器が計上されて、総支払額から堂々と引かれていることだ。

 以前、下取り車両を充当することを想定してと聞いた記憶もあるが、万人が下取り車両を持っている訳ではないし、昨今はオークション系の買取専業の方が下取としてディーラーに買い取ってもらうより有利なのは今や常識の範疇だろう。
 また、単に下取りといっても、乗っていた車など千差万別なのだから、画一的な金額になるわけがない。
 そんなことから、この下取車云々の理由は、頭金を元金から差っ引くことを正当化するために取って付けた詭弁以外の何物でもないと思う。

 だいたい、頭金を前提にして良いのであれば、車やバイクに限らず、家電や宝飾など、どのような商品についても、月々の支払額をより一層低く見せて購買心を煽ることは可能になるはずだ。

 しかし、車やバイク、後は住宅くらいしか、この頭金が入ることを前提に、月額を計上している商品は無いように思う。

 もし、先に書いた車両価格の掲示の変更が、不当に安く見せることに対する行政指導だったのであれば、この頭金を入れることを前提とした月々の支払い表示の方が遥かに不当だと思うのだが、何故、こんな実態を伴わない支払い方法を堂々と掲載することが許されるだろう?

 正直、これは最低でもイエローカード、心情的には一発退場のレッドカードに等しい商習慣だと感じているのだが・・・

 何故、こんな商習慣がまかり通っているかを知っている方がいたら是非教えて下さい。

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真面目とは

2007.02.27/Tue/12:38:28

 最近は格差社会だそうだ。

 真面目に働いて生きる者が損をする。ワーキングプアと言うらしい。
 逆に、ちょっと要領よい奴が大金を稼いでいく・・・

 実際はどうなのかを調べてみると、平成18年度の年次経済財政報告の第3節「家計からみた経済的格差」に詳しいが、結論から先に言うと、確かに所得格差は広がりつつあるものの、マスコミが声を大にして言うほどではないようだ。

平成18年度年次経済財政報告

第3節「家計からみた経済的格差」


 その前に、真面目に仕事をするとはどういうことだろうか・・・

 世の中には様々な職種があるが、どの様な職でも顧客ニーズを的確に捉えて、その会社(人)がいないと困ると思う顧客を数多く作り、その会社(人)が適切な対価を求めているのであれば、多くの顧客は喜んで支払うのではないか。

 逆に、誰でも出来る仕事というものも数多く存在する。
 誰でも出来る仕事は、対象者が多い分、競争原理が働くから発注側はボリューム当たりの単金を下げようとする。
 特に需要(募集)に対して供給(応募)が過多の仕事はどんどん金額が下がる。これは当然だ。

 真面目を表す言葉として、「コツコツ」や「地道に」など色々ある。

 これらの真面目を表す言葉の多くは、仕事の結果を示すものではなく、就業態度を示すものだ。
 では、就業態度と顧客ニーズは一致するのか。
 確かに真面目な仕事ぶりは、顧客から見るとある種の安心感はある。
 そういった意味では必要条件のひとつではあることに異論は無いが、では、十分条件かと言うと甚だ疑問が残る。
 何故ならば、顧客の多くは、品であれサービスであれ、己が望むモノを満足する価格で提供されることを最重要だと感じていると思うからだ。
 平たく言えば、費用対効果を知らず知らずのうちに計算している。
 そこでは、その者の性格や、勤務態度はあまり大きな意味を持たないだろう。

 誰でも出来る仕事と言えば大げさだが、高い習熟度を求められない仕事を、与えられるがままに自ら何らのリスクを負うこともなく「コツコツ」やる。
 これが、「真面目」の意味する正直なところではないだろうか。

 この様な仕事に多額の報酬を望むほうが間違っていないか?
 仕事とは、己の為にするものではなく、他人(顧客)の為にするもので、その価値が低ければ報酬も低い。
 価値は自分が決めるものではなく、雇用主や顧客が決めることだ。当たり前のことだ。

 もちろん、詐欺的に莫大な報酬をあげた者に対する罰則強化や、年金と生活保護の逆転(例えば、年金未納で受給資格が無い68才の人が生活保護で受けられるのは80,820円/月、国民年金を納め続けた人が貰える金額は66,200円/月)への対策など見直すべき課題は膨大にあるが、「真面目=損をしない」というのは成り立たないし、極論かも知れないが成り立ってはいけない式だと思う。

 結論ではないが、真面目とは自己満足の一形態にすぎないと思うのだ。

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公的機関のあり方

2007.01.29/Mon/21:08:24

 先の「APAと不二家」を書かせて頂いた後に、「千葉県のR100GSパリダカ」氏よりコメントを頂いた。
 ありがとうございます。

 一つは行きつけのAUFWINDについて。

 道内ではそれなりに名の通ったお店だとは知っていたが、道外の方にも知られたお店だとは思わなかった。
 考えてみれば、AUFがメインに扱っているBMWは、ツーリングで真価を発揮するバイクだし、ツーリングと言えば聖地とも言われる北海道だろうから、BMWで上陸してくるツアラーには知られた頼れるショップなのだろう。納得。


 さて、もう一つが食の安全についてだ。

 文の中で、役所の検査について書かれているが、正しくその通りだと思う。
 私は氏とは業界は異なるので、食品業界については詳しくないが、恐らくどの業界においても役所とはそのようなものだろう。

 それは、日本の役所が最も重視しているのが、規制や検査などではなく、許認可権のみだからだ。
 規制も重視していると異を唱える方もいるかと思うが、私は、単に欧米での実施内容を見て、許認可権益に発展しそうなものを優先的に導入しているようにしか見えない。
 これは、真の意味で規制を定めることに注力しているとは言えないだろうと思う。

 さて、この許認可権だが、与えられないと当該事業を営むことが出来ず、かと言って、与えられた側の違反が判明したとしても当該企業の許認可取り消しのみで、基本的に与えた役所側の責は一切問われないという、言い換えれば「責任や義務など一切無しに、生殺与奪の権力のみを与えられているという役所に取って最高に都合が良い制度だ。

 以前、規制緩和などという言葉が流行ったが、私は、必要な規制は緩和すべきではないし、新しい産業が勃興し、新しい化学物質が絶え間なく生み出される現在、まだまだ規制すべき分野などは次々沢山あると思っている。

 緩和すべきは、規制ではなく、許認可制度そのものなのだ。

 元々、役所という組織自体、専門性が無い故に、申請される内容が実態に即しているのか否か、それが正しいのか否かを判断する能力は無いに等しい。
 従って、許認可を与える判断条件とは、書類が整っていることを意味しているに過ぎず、許可を与えるに要する時間(ビジネス上はこちらも大切な要件なのだが)については、それが意図的であれ恣意的であれ、担当者のさじ加減一つだ。

 こんな許認可に、どれだけの意味があるというのだろうか?

 私は、公的機関が行うべきは大変大枠な言い方になるが、以下の2点だろうと考えている。

1,論理的且つ、公正な遵守すべき基準の設定
2,設定された基準の遵守状況の監視並びに、違反時の徹底した検査

 要は、意味のある規制の設定と遵守だけだ。

 ルールが定まった以上、規制される側は遵守すべく取り組んでいくことを求められる。
 不正を犯した場合には、これまでの様に許認可剥奪など画一的に裁くのではなく、発生状況の調査・分析にこそ大きなコストを割り割いて、何故、発生したのか、再発防止には何が有効かなどを徹底的に検証した上で、違反事由の軽重や社会への影響度等によっては、経営トップまで含めた関係者への刑事罰や、当該企業に実ダメージがあるような金銭的処罰で対応するのが良いと思うのだが。

 特に、事の善悪は承知の上で、利益重視の果てに招いたような不正に対しては、トップの実刑は勿論、当該企業を即精算しても賄えないような金銭的ペナルティを課すのも有りだと思う。(いわゆる懲罰的制裁の一種だが、米国のように、一個人(と守銭奴弁護士)による言いがかりの果ての訴え得は認めないのは当然だ。)

 然し、今でも直接的な懲罰はないにしろ、業務上何らかの不祥事を起こした企業に対して、不買運動やイメージダウンによって、実質的に解体に追い込まれたケースは少なくない。
 だが、その企業に対して許認可を下したこと自体が問われて、役人が訴追されたなどという話は聞いたことが無い。

 繰り返すが、規制は間違いなくあるべきだが、許認可とは規制の遵守に対して効果的だから存在しているのではなく、役人の地位や既得権の保全(もちろん天下り先の確保も含む)のみの為に存在していることをもっと認識すべきだ。

 ちなみに、規制緩和の語源は「Deregulation」と言われているが、この単語の意味に緩和といったニュアンスは無い。
 中辞典で引くと「統制撤廃」とある。
 統制と規制、撤廃と緩和、統制とは目的であり、規制とは手段である。
 撤廃とは無くすことが前提であり、緩和とはあることが前提である。
 統制という語句をそのまま残しておくと、これは目的を意味するために、次には具体的な手段に対する議論になりかねない。
 これは、許認可という<手段>がクローズアップされる可能性が俄然出てくるが、既に<規制>という言葉に変えているだけ、手段に焦点が当たった以上、同じレベルの許認可に目が行く可能性は少なくなる。
 撤廃と緩和は言うまでもない。

 訳し方一つ変えただけで、本質をここまで見事に変える。
 役人とは本当に小狡い頭は働くものだとつくづく思う。

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「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」のさらにもうひとつの意味

2006.12.01/Fri/11:58:15

 「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」という諺がある。
 この言はプロイセン(現在のドイツ)名宰相、ビスマルクの諺とされているが、私は自身への戒めとしてこの言葉を大切にしている。
Bismarck

 今回のタイトルは、ある大学教授の【「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」のもうひとつの意味】から頂いた。

 この教授の言を要約すると、「<ずる賢い>エリートが、自分らの嘘を見抜いて素直に言うことを聞かない<誠実な>非エリートに対して投げかけた苛立ちの表現」に過ぎないらしい。(<>内は文脈からくる独自の解釈だが、原文に興味ある方は【】内をGoogleで検索をお勧めする。)

 大学教授らしい斜め見の感はあるが、歴史観などは正しくその通りと思うし、この解釈自体も大きなレベル(正しくビスマルクのレベル)では、真実に近いだろうとも思う。


 先日、ある会議でこのようなことがあった。

 あるプロジェクトを進めるにあたり、開発部門の責任者は、「あらゆる手段を検討した結果、正しい手法を用いる限りにおいては、プロジェクトの完遂に速くとも6ヶ月は要する」と述べた。

 詳細は割愛するが、本来、部分的には既に完成していてもおかしくない案件であり、経営的、営業的には精一杯妥協しても4ヶ月がリミットと考えていた。要は、それは容認出来ないということだ。

 開発部門出身であった経営トップは、開発部門の責任者に対し、自らの技術者時代の経験に基づき雄弁を駆使しながら、ある時は大所から、またある時は開発手法論に踏み込んで、開発部門の責任者に、何とか「4ヶ月で完遂させる」と言わせようとする。

 結局は物別れに終わったのだが、この会議の参加中に私の頭に過ぎった諺が、「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」であった。

 人は往々にして己が欲する結論ありきで物事を進めようとする。
 要は、結論導くのではなく、結論導くのだ。
 この違いを理解して、使い分けをしているのであれば構わないが、これまた往々にして、本人は「結論に導いた」とは意識していないのが問題だ。

 物事を進めるのに当たり、期間を含めた到達目標を設定することは必要だ。
 更に言えば、目標設定に信頼できる根拠が皆無であったとしても、目標は設定した方がしないより遙かにマシだと考えている。
 然し、いざ検討・実践段階に入り、その時点での結論が目標に到達しないからと言って、具体性を伴う案と伴うことなしに、理想とする結論に導くことは、厳に慎むべきなのだ。

 ましてや、今回の場合は、未熟な一般社員に対する指導教育の要素は含まれていない。
 その部門を統括する責任者として任命している以上、その者が出した結論は、受け入れがたい結果であったとしても、最も信頼性の高い貴重な情報として扱うべきなのだ。

 誤解して欲しくないのは、私はこの部門責任者の結論が唯一無二の結論とは信じていない。
 恐らくは、他の者が当たれば、同じ結果がより早期に出る場合もあるだろうし、逆に、更に遅延する結果もありうるだろう。
 ありうるという表現より、必ず異なるといった表現の方が正しいかもしれない。

 だが、到達目標に対するプライオリティの再確認以上に、職務権限を侵蝕するようなヒアリングや指示なとは、権限の不明確化や、責任に対する意識の低下に繋がりかねない。

 この場合の結論を変えるのは3つしかない。

 a) 現部門責任者を解任し、現目的を達することの出来る責任者を任命。
 b) プロジェクト内容を見直し、期間に合わせるように変更する。
 c) 期間目標を達成出来ないことを前提による代替措置の設定。

 人材が豊富ならaを採用すれば良いし、可能であればbを採用すればよい。他に余力があればcも現実的な選択だろう。
 どれも駄目であれば、失敗するリスクを承知した上で突っ込むか、座して死を待つしかない。
 座して死を待つ選択をする者は皆無であろうから、恐らくほぼ100%突っ込む選択をすることになると思うが、そういう決断を行った事実を早期に経営リスクとして承知しておくことが、経営トップにとって必要なことなのだと思う。

 例え、巧みな言葉で開発部門の責任者に「4ヶ月」と言わせることが出来たとしても、それが真に期待できる言なのか、その場を逃れる為の言なのか・・・、他人は疎か、自分自身もどちらが真なのか判らないに違いない。

 

 「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」

 経験と歴史を言い換えれば、前者は一人称であることから、自らが関与出来る(た)ことであり、歴史とは三人称で自らは関与出来ないものとも解釈出来る。

 一歩進めて私はこの諺を、経験を「結論ありきの希望的観測」、歴史を「現時点で最も信頼すべき情報」と置き換え、希望的観測に基づく結論を可能な限り排除し、好ましくない信頼すべき情報を元に思考を進めようと常に意識するようにしている。

 そして、大は戦争から小は今回のような社内プロジェクトまで、「トップの手により歪められたプロジェクトは、尽く失敗に終わっている」ことを歴史が証明している。
 
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モノの価格 補足

2006.11.21/Tue/20:29:47

 先にモノの価格について書いたが、改めて読み直すと内容的に不足していることに気がついた。

 これについても、少々思うところがあるので追記したい。

 前回記載の内容を一言で表すと「コストパフォーマンスの追求が成功への最短経路である。」ということだ。

 これは、論理的に購買行動を起こすことを前提とした場合には、極めて有効な対策であると考えているし、うちの会社の様に、一定規模以上の法人需要が売上のほぼ全てを占めるといったケースには、この前提が当てはまる率は更に高まると考えていて間違いない。

 逆に、個人需要であったり、法人需要であっても、社長の鶴の一声で決まってしまう(個人の趣味趣向が影響する)企業においては、先の結論が必ずしも当てはまらない。

 これは、個々の趣味趣向や事実誤認、知識不足等が、購買行動に大きく作用するからだ。

 但し、これらが大きく作用すると言っても、やはりコスト意識が少なからず働くので、コストパフォーマンスの追求が全く無力という訳ではない。

 もちろん、これらは言外の常識程度の言うまでも無いことで、当然、改めて追記したいと考えた内容では無い。

 追記したいと考えた主題は、多額の金銭を使えば使うだけ満足度が高まる購買行動があるのではないかと言うことだ。

・実例1
 ある某輸入バイク販社でメカニックを経験した方に伺った実話だ。
 その店の客は、購入したパーツの機能などよりも、そのパーツを入手するのに幾ら掛かったか、また、壊れた時もそのバイクを修理するのに幾ら費やしたかが、悦に入るステータスとなっていた。
 上司から「パーツも工賃も判らなければ出来るだけ高く言え。そうすりゃ客は喜ぶ」という指示が出た時、最初は耳を疑ったそうだが、事実は正しくその通りで、バイク自体には、相応の魅力を感じていたものの、店の経営方針や顧客の考え方に呆れ果て、早々に辞めてしまったそうだ。

・実例2
 以前、ある国産ゴルフクラブのメーカーエンジニアの話を聞いたことがある。
 初中級者向けに性能を合わせ込み、また実用性を重視し価格を抑えた、要は「コストパフォーマンス」を追求したモデルを発売したそうだ。結果は大惨敗。全く売れなかったそうだ。
 ところが、ある先輩の意見に従い、塗装品質を高級にし名称をそれっぽいのに変えただけ(逆に言えばそれだけしか変えていない)で、価格を2倍にして売り出したところ、瞬く間に大ヒット商品となった。

 これは実例ではないが、生地の模様に特徴のあるバックメーカーが日本で爆発的に売れている理由にも、同種の匂いを強く感じている。

 本来、ファッションや趣味性などは、他人とは異なっているのが当然だと思うのだが、このメーカーのそれも特定の柄に集中した日本人の保有率は常軌を逸していると感じている。
 もちろん、ブランド戦略の成功という見方もあるが、果たしてそれだけが理由だろうか。

 私は、これを紐解くと、以下のような推論が成り立つのではないかと考えている。
 まず、特徴的な柄からパッと見ただけで何処の製品か直ぐに認知出来る。
 この製品は、一般的に高価格の部類に入る。
 多くの人が持っていることは、持っている本人自身も認識している。
 故に、
 推論1、 そのメーカーの製品を持つことは、自らの良好な経済状態を他人にアピールする手段になる。
 推論2、 自らのセンスを疑われることは少ない。何故なら、大多数が保有している訳だから。

 即ち、この製品の真価とは、製品自体のクオリティにあるのではなく、他人から高評価されることが期待出来るという一点を前提に成立しているのではないかということだ。

 これも、先に書いた対価の大きさによって満足度が変わるのと根は同一ではないかと考える。

 本来、ブランドの成り立ちとは、永年の経験や実績を背景に、当該メーカーの製品を買うということは、その製品カテゴリにおいて十分以上のクオリティを得られるということを示す重要な尺度であったと思う。
 事実、山岳用品や業務用機材など、機能のみが最も重要視される製品においては今でもこの尺度は有効である。
 
 しかし、趣味性の高いカテゴリに属する製品おいては、いつの間にか、ブランドというものの存在理由が、購買者の経済力を示す尺度に変化してきているのではないか。

 特に日本においてはその度合が著しく高いように感じている。

 ここまで書いてきて、改めて読み直して見ると、我ながらどうでも良いような小難しい事を延々と書いてると思うので、そろそろ止めにしよう。

 正直、赤の他人が何を思ってどんなモノを買おうが勝手なのだが、諸外国の精神的に成熟した方々から、日本人のメンタリティという括りで、自らのセンスに自信が持てないが故に、多くの他人と一緒であることに安堵しつつ、金は持っているぞという見栄だけは必要以上に張りたがる、そんな輩と同一視されるのは嫌だなと漠然と思っているだけだ。

 妻はモノを選択する基準として己の趣味趣向が最優先で、高いものが欲しいという指向が全くないこと、人と同じモノを持つことは基本的に不愉快と感じていることなど、私とは表現方法は異なるが、ベースとなる価値観において一致していることは、本当に良かったと思う。

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