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日々想うコト

趣味(単車、旅etc・・・)、仕事、時事等々、独り言をつらつらと書き留めておきますか。

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バイク歴

2006.08.31/Thu/03:31:07

丁度20年前、学生最後の年に、同じ企業に就職が決まった友2人と夏休みから限定解除を取りに行った。
まず1人が9月下旬に合格。 私ともう1人は10月も継続して受け続けようとしたが、突然、その年の限定解除試験は終了となった。
例年より早い10月に降雪があったためだ。
今は実技試験免除の自動車学校で大型二輪免許の取得が出来るようになったため、これらの学校ではたかが一回の降雪で免許取得が中止になることなどあり得ないだろうが(そんなことをしたら生徒が一人もいなくなってしまう。)、昭和62年当時、大型二輪は公設の免許試験場での取得しか認められていなかった。(H-D社が非関税障壁だと騒いでいたのが懐かしい)
大型二輪は不要で危険極まりない乗り物としか考えていないお上は、交通事故を減らすのには免許を与えないのが最良の方策とでも考えているかのように、雪が1回でも降ったら、翌年の春まで店仕舞いというのが平然とまかり通っていたのだ。
 冬が終わり、春を迎えて首都圏配属となった友2人は、合格した方はYZR500を購入し、落ちた方はRVF400を購入した。
 札幌配属となった私は雪解けを待って限定解除に勤しむ・・・予定であったが、冬の間に興味はすっかり車に移ってしまい、入社後は車を長期のローンで購入。
 バイクは免許を含めてすっかり過去の想い出となってしまった。
 過去の想い出が現実になったのは7年前、スズキの隼を何かの機会に見たときに、昔思い描いていた理想のバイクが具現化したと背中に電気が奔る感覚を覚えた。
 その時、改めて考えてみると、免許は民間の教習所で取れる時代になった。価格も今なら何とか道楽として手が届く。
そう思うと躊躇は無かった。
普段は苦手な早起きを一ヶ月続けて大型二輪免許が手に入った。
だが、購入したバイクは隼ではなく、HONDAのX4だった。HONDA X4


 昔取った杵柄は健在で、補習などは一回も付かずにストレートで免許は取得出来たものの、教習車のCB750に思ったより手こずった感があり、20年ぶりのリターンライダーにとって、実測で300km/hを越える隼はとても自分の手に負えないと感じたのが理由だ。
 それで、国内仕様で性能も穏やか、デザインもドラックレーサー風でそれなり個性もあり気に入ったX4になったのだが、ツーリングなどで隼乗り数人と知り合い、その中の2人が女性ながらそれなりに走らせている姿を見、徐々に大型にも慣れてきた自分でも何とかなるのではと思い、シーズンオフにX4を売却、00モデルの赤/灰を購入した。
 片側二車線の中央車線からウインカーも無しに急に左肩に駐車しようとした車に巻き込まれて転倒したり、十勝サーキットでの草レース予選で転倒したりと色々あったが、その度にカスタムしたりしてとても楽しいバイクライフだった。
 しかし、隼乗りの相次ぐ事故の話を見聞きしたり、その中の数名の訃報を聞くうち(そのうちの一人は、前の愛車がX4で今は隼、それも同じバイクショップで購入と他人事とは思えなかった。というより、知り合いの中には私のことだと勘違いした人もいた)に、隼に何か恐怖に近いものを感じ、2004年に売却、2004型YZF-R1の赤に乗り換えることになった。
 R1は初めてであったが、スタイルに一目惚れだった。隼でも十勝サーキットで走ってそれなりに楽しめたが、R1はサーキットではもっと楽しめると考えたのも要因の一つだった。
 ちなみに、本気で走るのであれば、サーキットは最も安全な場所だ。

 この年、家内が私の影響を受けて、大型二輪免許を取った。
 イタリア好きの家内が選んだバイクはドウカティのモンスター750。
 空冷Lツインで重量は下手な国産4発の400より軽いとても扱いやすいバイクだ。
 最初は近所を回るだけだったが、そのうち慣れてきて、最初のツーリングは隣町の小樽に行くことになった。
 小樽で楽しんだ帰り道、先を走っていた私が事故に遭ってしまった。
 ちょっと複雑な交差点なのだが、対向で右折待ちしていた車列から3台目の車が右手前のコンビニに入ろうと急にこちらの車線に出てきたのだ。
 右も左も行けない状況となり、何とか停車しようとしたが加速状態のバイクは急なフロントブレーキでジャックナイフを起こしそのまま私はひっくり返った状態で相手の車のフロントグリルに叩き付けられた。
 結果的には右直事故のような形で、過失割合は相手95%、私が5%だった。
 結果、右肋骨6本骨折。折れた肋骨が右肺を傷つけたらしく、少し小さくなっているとのことで、カテーテルを刺して負圧で膨らます治療が必要だった。
 事故状況から見ると肋骨骨折とはいえ、思ったより軽傷で済んだのは、パッド入りの革ジャケットとフルフェイスヘルメットで固めていたことだ。やはり、バイクに乗るには相応のウェアは必需品だと改めて実感した。
 仕事の都合もあって、先生に無理を言って3週間程で退院したが、R1はそのまま行きつけのバイクショップで引き取ってもらうこととなり、それ以来、自分のバイクは持っていない。

 ちなみに、大型二輪を一緒に取りにいった2人の友だが、合格した方は、買ったYZR500を数日で単独事故を起こし、廃車にした後、懲りずにFZR1000を購入したところまでは付き合いがあったが、その後、九州に転勤となった後、私が転職したこともあって付き合いが途絶えている。元気でやっているだろうか。
 もう一人は、RVFで北見の実家に帰省する途中、立ち寄ったコンビニで言葉を交わしたライダーとほぼ同時に走り始めたが、そのライダーが前方を走る大型トレーラーをパスしようとしたところ、急な幅寄せに遭い、後輪に巻き込まれ即死したのを一部始終目撃することになった。
 彼は事故処理を手伝った後に実家の北見でRVFを売却。
 彼とは今も付き合いがあるが、バイクにはそれ以来、一度も乗ってない。
 事故の状況は何となく想像出来るが、実際に見たのとは雲泥の差だろう。
 それから20年経ち、リターンしないかと誘ってみたが、やんわりと断る彼の姿から、一生風化しない記憶というものもあるのだと感じた。
 
 さて、自分のバイクを手放して早2年。そろそろ次の愛車が欲しくなってきた。
 ZZR1400のような新時代のメガスポーツにも興味はあるし、余りにも短命だったR1に再チャレンジしたい気持ちもある。 しかし、リターン後、サーキットを含めて数回の転倒や事故を経験し、もう目を三角にした走りは卒業かなとも感じている。
 アメリカンも一度は乗ってみたいとは思うものの、今一踏み切れない。
 ツーリングにも行きたいが、FJRなどの本格的ツアラーも何だか違う気がする。
 街乗りにも使いたいが、だからといってCB1300SBなどには心が動かない。
 用途に合わせて複数台所有するというのが理想かとも思うが、気に入った一台と人生を共にするというのも悪くないと思う。
 車と違いバイクはあくまで趣味のもの。欠点が少ないバイクが心が動くバイクでは無い。
 うーん悩ましい。でも、この悩ましい時が一番楽しい時期だから精一杯悩むとしよう。

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第88回全国高校野球選手権大会

2006.08.24/Thu/10:37:46

日記というと、何かその日の出来事を綴るというイメージがあるけど、いつかの将来、あの頃はこんなこと考えていたんだなぁなんて記録を取っておこうと思い、ブログなんて似つかわしく無いことを始めることにした。

第一回目は、8月21日に終わった第88回全国高校野球選手権大会について。

今年の決勝は駒苫vs早実で、田中、斉藤両エースの投手戦が予想された。

初日は1×1の延長15回引き分けの予想通りの展開となって、翌日再試合になり、翌日も前日同様の投手戦となった。

素人目には香田監督の采配ミス(様々な理由があったとは思うが、菊池の先発は相手に利しただけだろう。)と感じた展開で8回終了までに1×4で早実リード。
9回表にヒット&ホームランで1点差に詰め寄るも、後続が三振、小フライ、三振で倒れてゲームセット。
最近の高校野球は打撃戦の印象が強いが、野球は投手戦の方が緊迫した素晴らしい試合になるという典型的な試合だった。

もちろん、道産子としては、駒苫を応援すべきだし、実際、応援もしていたのだが、一喜一憂する妻や妹の姿を見ながら、自分としては、何処か醒めて見ていたような気がしていた。

だから、ゲームセットの瞬間は、いわゆる「あ~ぁ~」といったものではなく、まぁ、良くやったなといったものだった。

自分なりに考えてみると、3年間負け無しで高校生活を終えるというのは、勿論、相応の努力を重ねてきたとは思うものの、世の中にはどんなに努力を重ねても、それだけでは叶わないものってのはある訳で、そういった挫折感を味わうことなく、人生の駒を進めるというのは何だかなぁという、今、冷静に思えば嫉妬に近い感情があったんだと思う。

ところが、家に帰って寝る間際になると、急にある選手のことが気になり始めた。
その選手は、本間篤史。
昨年からの不動の4番打者で、主将を務める人物だ。

彼がゲームセット後に流していた涙のシーンや、智弁和歌山戦で3安打を放って活躍した時のコメント(確か・・・これまでみんなの足を引っ張ってきたので、打てて良かったといった内容だったと思う。)を思い出した。

彼は、決勝初日は4打数0安打2三振、再試合も4打数0安打3三振と両日とも良いところが無かった。
きっと、彼は今、何故あのとき打てなかったのだろうと、フラッシュバックのように打席での光景を思い出しながら、自分自身を責めているのではないだろうか。

ふと、そう思った。

元々、他人の人生に対しては興味は薄いほうだし、色々と考えることもしない。
もちろん、家族や友人、知人に対しては赤の他人よりはマシだが、それでも淡泊なほうだろう。

勿論、本間篤史と私は何の接点も無いし、きっとこれからも無いだろうと思う。

そんな自分がこんな気持ちになるというのは、彼に対してどうのこうのというよりも、自分自身に対して少々驚きを持つとともに、赤の他人を思いやるこんな感情を持っていることに気付かせてくれた彼に感謝したい。

だからという訳ではないが、彼にはこう伝えたい。

確かに、決勝の2試合は本人にとって不満足な結果だったと思う。
しかし、そこに至るまでの努力は並大抵ではなかったと思うし、だからこそ勝ち得た不動の4番だろう。
18歳にしては、この結果は精神的に大変な試練だと思う。
結果は結果として厳粛に受け止める必要はあるが、必要以上に自分を責めても、良いことなど何一つないから、どうにもならないことは、吹っ切るしかない。

世界選抜に選ばれたことからも、自分を認めている人達が沢山いるんだと前向きに考え、可能であるならば是非とも野球人の道を進んで、これからも私たちの目を楽しませて欲しいと思う。

もし、野球人の道を進まなくても、選んだ分野で、これまでと同じようの努力を続けていくことができれば、どんな世界でも必ず成功するだろうし、その時には、間違いなく、今回のことが、若き日の良い想い出の一つにになると思う。

本間頑張れ!

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