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趣味(単車、旅etc・・・)、仕事、時事等々、独り言をつらつらと書き留めておきますか。

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ああ人生・グランドツーリング 徳大寺有恒著

2006.12.13/Wed/15:27:21

グランドツーリング

 雑誌以外のクルマ本を買ったのは、何年度版だったかは記憶にないが、徳大寺有恒氏の「間違いだらけのクルマ選び」シリーズが最初だったと記憶している。
 それ以来、7,8年ほど前までは出版される度に買っていた。

 この本については言うまでもないが、著者が時折見せるシノビズムにも通じるある種の嫌みは気になるものの、20世紀に出版された中では最も優れた自動車評価本の一つであったし、本のタイトルに「間違いだらけの~」という今にも続くフレーズを作った、ある意味、一つの時代を築いたと言っても過言ではない本であった。

 恐らく、自動車評論本を記した殆ど全ての作家の頭には、本シリーズが暗黙のベンチマークであったに違いなく、幾多の評論家がその壁に挑み続け敗れ去ったことか。
 本書を本質的な意味で初めて超えたのは「本音のクルマ選び」シリーズが最初であろう。
 逆に、それまでは、本書がキングとして君臨し続けたのだ。

 私は、著者が「今を生きる人々は、時代が違うのだから、著者自らがやってきたような化石燃料を自由に使うことをしてはならない。環境というものに責任を持たなければならない」などと、エコに関して声高に叫び始めたのを機にこのシリーズを一切買わなくなった。

 エコロジーは確かに重要ではあるし、自分なりにも実践していることもあるが、リッター2kmも走らないジャグワー(彼流のジャガーの表現)の乗り味を、燃費を犠牲にした低圧縮、マルチシリンダー、大排気量エンジンだからこそ達成出来た比類すべきものが無い素晴らしさだと、過去のシリーズで褒めちぎって悦に入っていた同じ人物が言う言葉かと思うと、殺人犯に殺人の罪を諭されているのと同じ感じで嫌悪感を覚えたものだ。

 たまに新刊が出るたびに、さらっと流し読みはしていたが、今世紀に入ってからは特に、業界の御大とか重鎮とかになったことを己自身が意識し始めたのか、本来はそんなことは全く関係ない一般読者に対して、本来の製品としての自動車(メーカー)批評よりも、自己陶酔とも言えるような己の価値観を押し付ける勘違い本に、どんどん成り下がっていった。

 誰もが同じように感じていたかのように、このシリーズは今年で終わりらしい。
 それだけ、返本が多いのだろう。歴史上の役割を終えたということか。合掌。

 さて、本書は、徳大寺有恒氏がクルマを通しての人生観を著した読み物である。

 フィクションとしてのある車を手にした人の日常や、著者の色々なメーカーへの思いなど、車という切り口で色々な世界観を表現した本書は、往年の著者の物書きとしての力量を示すに十分な内容で、徳大寺ワールドを昔は嫌いではなかったという方々には、それなりに楽しめると思う。

 1992年の出版なので、出てきている車自体は今となっては旧車に属するものばかりだが、それぞれのメーカーの本質は10数年経った今でも、そうは変わっていないことも何だか面白い。

 この本は、BOOK・OFFをぶらついていて、偶々激安コーナーに置かれていたものを買ってきたが、間違いなく元は取れた本だ。

 流石に新品を買うのはどうかと思うが、古本屋で見つけたならば買っても損は無いだろう。

 5段階評価: ★★☆☆☆ (星2個)
※表紙が大好きなディノだったことで、評点が少々甘くなった。
 また、徳大寺ワールドが好きな人は★3つでもOK。

追記:
 アマゾンで調べたら、今でも新品が手に入るらしい。
 しかし、古本では¥1が付いているものを、新品でも欲しいという人が果たしてどれだけいるのだろうか?

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本気のクルマ選び2007

2006.12.11/Mon/13:41:26

 本の紹介の第一弾は、「本気のクルマ選び2007」
本気のクルマ選び

 前作の「本音のクルマ選び」シリーズは私の中で、いわゆるクルマ紹介本として最良の書だと思っていた。
 残念ながら、どういう事情か判らないが2003を最後に休刊しているが、両角岳彦氏を中心とする執筆陣の復活に期待をしていたのは私だけではあるまい。
本音のクルマ選び


 新千歳空港に人を送り届けた後、空港内の書店にフラッと寄った際に、「本気のクルマ選び」があった。
 体裁は前作とほぼ同じ。使われているキーワードも同じとなれば、買うしかないでしょう。


 読後の感想:
 体裁、構成は「本音」を引く継ぐが、最も重要な評価内容が、辛口っぽく見せかけて、実はメーカーを褒める提灯記事のオンパレード。

 ただ一つ、引き継いでいるのは、クルマ業界の広告が載っていないということだけ。

 辛口の評論というのは悪口とは違う。
 読者に正しい情報を伝えるのは当然として、評論されるメーカーに対してもある種の納得を得させて初めて成立するものだ。

 これには、本人自身が過去に積み上げてきた実績がものをいうだろうし、メーカ側にも、彼(彼女)が書くのだから拝聴しましょうといった信頼関係すら必要だろう。

 だが、今回の執筆陣の文面からは、「僕って、良い書き手でしょう。各メーカーの広報さん。ライターとして指名してください。お役に立ちますよ。」という嫌らしさしか伝わってこない。
そして、こういう滲み出てくる嫌らしさは、いくら体裁を整えても、はっきりと受け手に伝わるものなのだ。
 徳大寺有恒氏など、一線を張っていた評論家からの世代交代が進んでいく中、若手・中堅ライターが成り上がっていくには、こういった手法が有効なのかもしれないが、これだったら、広告が載っている提灯雑誌の方が遙かにマシだ。

 ちなみに、この程度の提灯本は巷に溢れているので、この本が特別に悪いわけではない。
 逆に、臨時増刊の広告満載車種別ヨイショ本に比べると、評価本としてはまだ多少マシかもしれない。

 しかし、最良の書と考えている「本音のクルマ選び」シリーズを、それぞれの表紙を見ても明らかに判るように、同一の路線継承を高らかに唱いながら、この有様は真に前作の後継を期待する読者に対して裏切り以外の何物でもない。本当に許せない。


 結論:
 全くの駄本。買う価値は一切無いどころかタダでもいらない。ゴミ以下。

 顴骨堕胎とはまさにこの本を指す。

 5段階評価: ☆☆☆☆☆ (星0個)

追記:
 書店で見つけた時、あまりの嬉しさに、「本音」が「本気」に換わっていたことに全く気が付かなかった。
 気付いてさえいれば、数ページを読むだけで、唾棄すべき駄本だと直ぐに気が付いたのに。
 全く、自分の注意不足に腹が立つ。

 ちなみに、この本の奥付に関わった執筆陣が書かれているが、両角岳彦氏の名は一切無い。

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ジャンルに「本」を追加

2006.12.11/Mon/11:51:47

 バイクとゴルフのシーズンが終わると、書くことが無いのに気が付いた。

 このままブログを放置するのも寂しい気がするし、仕事を通して感じたことを書くのも限度がある。

 色々考えたが、本について書こうと思う。
 本を読むのはほぼ日課になっている。(要は、泥酔して帰宅したとき以外は毎日)
 新たに買ってきた本が中心だが、結構、気に入った本の読み直しも少なくない。
 年に読む本の数は、もしかすると日1冊平均くらいにはなっているのではないだろうか。

 こう改めて考えると、費やしている時間もお金も本の方がずっと大きいかもしれない。
 それくらい大きな趣味なことに気が付いた。

 読むジャンルは、歴史物、時代物、ノンフィクション、ハードボイルド、クルマ、バイク、啓蒙、技術、戦争、官能等々、知識を得るもの、楽しませてくれるもの、どちらもOKの完全に乱読だ。

 漫画も読むには読むが、文庫本が圧倒的に多い。

 但し、不思議と子供の頃には多く読んでいた推理物は、何故か今は殆ど読まない。
 最後に読んだ推理物は「半落ち」だった。これは大変面白かったが何故か推理物を続けて読もうとは思わないのは何故だろう。

 これは、自分の中でも七不思議の一つなのだが、良い意味でも悪い意味でも記憶に残った本を、紹介といった形で記録しておくことで、謎が解けるかもしれない。

 取りあえず、新しいジャンルとして「本」を追加しよう。

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「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」のさらにもうひとつの意味

2006.12.01/Fri/11:58:15

 「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」という諺がある。
 この言はプロイセン(現在のドイツ)名宰相、ビスマルクの諺とされているが、私は自身への戒めとしてこの言葉を大切にしている。
Bismarck

 今回のタイトルは、ある大学教授の【「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」のもうひとつの意味】から頂いた。

 この教授の言を要約すると、「<ずる賢い>エリートが、自分らの嘘を見抜いて素直に言うことを聞かない<誠実な>非エリートに対して投げかけた苛立ちの表現」に過ぎないらしい。(<>内は文脈からくる独自の解釈だが、原文に興味ある方は【】内をGoogleで検索をお勧めする。)

 大学教授らしい斜め見の感はあるが、歴史観などは正しくその通りと思うし、この解釈自体も大きなレベル(正しくビスマルクのレベル)では、真実に近いだろうとも思う。


 先日、ある会議でこのようなことがあった。

 あるプロジェクトを進めるにあたり、開発部門の責任者は、「あらゆる手段を検討した結果、正しい手法を用いる限りにおいては、プロジェクトの完遂に速くとも6ヶ月は要する」と述べた。

 詳細は割愛するが、本来、部分的には既に完成していてもおかしくない案件であり、経営的、営業的には精一杯妥協しても4ヶ月がリミットと考えていた。要は、それは容認出来ないということだ。

 開発部門出身であった経営トップは、開発部門の責任者に対し、自らの技術者時代の経験に基づき雄弁を駆使しながら、ある時は大所から、またある時は開発手法論に踏み込んで、開発部門の責任者に、何とか「4ヶ月で完遂させる」と言わせようとする。

 結局は物別れに終わったのだが、この会議の参加中に私の頭に過ぎった諺が、「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」であった。

 人は往々にして己が欲する結論ありきで物事を進めようとする。
 要は、結論導くのではなく、結論導くのだ。
 この違いを理解して、使い分けをしているのであれば構わないが、これまた往々にして、本人は「結論に導いた」とは意識していないのが問題だ。

 物事を進めるのに当たり、期間を含めた到達目標を設定することは必要だ。
 更に言えば、目標設定に信頼できる根拠が皆無であったとしても、目標は設定した方がしないより遙かにマシだと考えている。
 然し、いざ検討・実践段階に入り、その時点での結論が目標に到達しないからと言って、具体性を伴う案と伴うことなしに、理想とする結論に導くことは、厳に慎むべきなのだ。

 ましてや、今回の場合は、未熟な一般社員に対する指導教育の要素は含まれていない。
 その部門を統括する責任者として任命している以上、その者が出した結論は、受け入れがたい結果であったとしても、最も信頼性の高い貴重な情報として扱うべきなのだ。

 誤解して欲しくないのは、私はこの部門責任者の結論が唯一無二の結論とは信じていない。
 恐らくは、他の者が当たれば、同じ結果がより早期に出る場合もあるだろうし、逆に、更に遅延する結果もありうるだろう。
 ありうるという表現より、必ず異なるといった表現の方が正しいかもしれない。

 だが、到達目標に対するプライオリティの再確認以上に、職務権限を侵蝕するようなヒアリングや指示なとは、権限の不明確化や、責任に対する意識の低下に繋がりかねない。

 この場合の結論を変えるのは3つしかない。

 a) 現部門責任者を解任し、現目的を達することの出来る責任者を任命。
 b) プロジェクト内容を見直し、期間に合わせるように変更する。
 c) 期間目標を達成出来ないことを前提による代替措置の設定。

 人材が豊富ならaを採用すれば良いし、可能であればbを採用すればよい。他に余力があればcも現実的な選択だろう。
 どれも駄目であれば、失敗するリスクを承知した上で突っ込むか、座して死を待つしかない。
 座して死を待つ選択をする者は皆無であろうから、恐らくほぼ100%突っ込む選択をすることになると思うが、そういう決断を行った事実を早期に経営リスクとして承知しておくことが、経営トップにとって必要なことなのだと思う。

 例え、巧みな言葉で開発部門の責任者に「4ヶ月」と言わせることが出来たとしても、それが真に期待できる言なのか、その場を逃れる為の言なのか・・・、他人は疎か、自分自身もどちらが真なのか判らないに違いない。

 

 「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」

 経験と歴史を言い換えれば、前者は一人称であることから、自らが関与出来る(た)ことであり、歴史とは三人称で自らは関与出来ないものとも解釈出来る。

 一歩進めて私はこの諺を、経験を「結論ありきの希望的観測」、歴史を「現時点で最も信頼すべき情報」と置き換え、希望的観測に基づく結論を可能な限り排除し、好ましくない信頼すべき情報を元に思考を進めようと常に意識するようにしている。

 そして、大は戦争から小は今回のような社内プロジェクトまで、「トップの手により歪められたプロジェクトは、尽く失敗に終わっている」ことを歴史が証明している。
 
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