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それでも僕はやってない

2007.01.31/Wed/04:11:37

 以前、弁護士(多くは民事だが、希に刑事も担当するらしい)の友人と飲みに行った際に、「悪徳弁護士とは聞くが、悪徳検事とか悪徳判事とかは聞かないよな」と言うと、「弁護士も勿論色々いるが、検察官も裁判官も立場が違うだけで似たようなものだよ。」と少々の新聞ネタになった話を織り交ぜながら面白可笑しく裏話を聞かせて貰ったことがある。
 その中の一つに、作品上で語られていたように、判事一人当たりの同時に抱える裁判件数が、札幌当たりでも百数十件もあるので、とても全てにまともに対応出来ておらず、法廷で初めて資料に目を通す裁判官が少なくないなども聞いた記憶があった。
 要は、法曹関係者だからと言って、高尚で信頼の置ける方々ばかりではないということだ。

 さて、「それでも僕はやってない」は、周防正行監督作品ということから、「Shall we ダンス?」や「シコふんじゃった」の様に、ちょっとコミカルな仕上がりかとの懸念を多少は持っていたが、作品紹介のチラシや監督へのインタビューなどを聞いて、相当シリアスに冤罪に正面から取り組んだ映画のようだったので、とても期待して観に行ってきた。

 粗筋は、「ある青年が身に覚えの無い痴漢に間違えられ、駅事務所に連れて行かれたところから始まり、正しい主張をすればするほど睨まれ、最後には裁判になって行く」という展開で、例え、ネタバレ覚悟で詳細に書いても数行で終わるような内容であったが・・・

 さて、裁判映画としては、「12人の怒れる男(1957/アメリカ)」が有名だ。
 この作品は、ある黒人少年が起こしたと思われる事件に対して、12人の陪審員が様々な理由で11人が有罪と下すが、たった1人(ヘンリーフォンダ)が、その判断に疑問を持ち、11人に問いかけていく話である。
 1957年作と古いモノクロ作品で、シーンのほぼ100%が陪審員控え室のみの映像であるが、これ程次の展開が読めずにどきどきした作品はこれまでなく、裁判映画という括りではなくて、これまで見てきた映画の中でBest5に入る作品だ。
 1987年にリメイクされており(残念ながらこちらは見ていない)、三谷幸喜氏がこの映画に多大な影響を受け、「12人の優しい日本人」というもし、日本に陪審員制度があったならという話を、コミカルに見せながらも芯が通っている作品の脚本を書いている。

 今回の「それでも僕はやってない」は、それに勝るとも劣らないとはちょっと書きすぎだが、今の日本の裁判制度の問題点を、誰にも判りやすく浮き彫りしたという点で相当の高得点を与えたい佳作だ。
 また以前から、事あるごとに書いている日本的な嫌らしさもしっかり描かれているのも好印象だ。

 主演の加瀬亮は「硫黄島からの手紙」で知った俳優だが、あまりにも理不尽な状況に置かれた青年の心理を上手く演じきっており、脇を固める役所広司や瀬戸朝香、小日向文世なども安定感抜群で、脚本の素晴らしさをしっかりと引き出している。

 派手な演出などは一切無い、大変硬派な出来ではあるが、今の日本が抱える問題の一端を感じることの出来る希有な作品の一つだ。
 こういう作品こそ、少しでも多くの人に観ていただきたいと思う。

 さて、日本では平成21年5月までに裁判員制度がスタートすることが決まっている。

 この背景には司法不信(冤罪事件が少なくないのではないか、量刑が不当なのではないか)の解消と、事案によっては結審までに多くの時間が掛かっているという問題を解決したいということがある。

 今回の「それでも僕はやってない」は、このうち、起訴された刑事事案の99.9%が有罪になるという現実を基に、冤罪が作られていく過程を緻密に練り上げた作品だったが、この裁判員制度は冤罪解消に役立つのだろうか?

 まず、冤罪は何故起こるのかを考えてみたい。

 本来は警察段階によって、確実な事案のみを送致出来れば良いのだが、検挙率という亡霊に縛られざるを得ない彼らは、取りあえず疑わしきを逮捕し送致してしまう。
 但し、警察段階で疑わしきは送致するというのは、裁判で有罪無罪を決定する建前上、ある程度は許容せざるを得ないものだと思う。

 問題はここからだ。
 警察から検察官送致された被疑者を検察で不起訴とすると、結果的に検察は警察の過ちを指摘することになる
 同様、検察から論告求刑された被告を無罪に処すということは、裁判所は検察の過ちを指摘することに繋がる。

 本来は、警察官、検察官、裁判官も人間である以上、過ちがあって当然なのだが、組織への信頼感(裏には個人への評価)という言葉で、対面的にはそれを簡単に認める訳にはいかない。
 その為には、赤の他人の一人や二人が例え冤罪になったとしても、仲間内で気まずくなって、今後の仕事に差し支えるよりは、余程マシということだろう。

 冤罪とは、警察-検察-裁判所という、一見、独立しながらも、密接に関わらざるを得ない国家権力組織同士の対面維持がその根幹にあるのだ。
 このような仕組みが強固に構築されている法曹業界に自浄作用による解決は期待出来ないだろう。

 続いて、裁判員制度について少し考えてみたい。

 まず、米国で導入されている陪審員制では、判事は有罪か無罪かの決定には関与出来ず、判事は裁判自体の適切な進行と有罪時の量刑の決定を負う。有罪無罪の判断は陪審員12名の一致が原則だ。

 これと比較して、日本で導入を予定している裁判員制とは、民間人は判事と一緒に判断を下す制度で、裁判官3名と裁判員6名で構成し、少なくとも裁判官1名を含む過半数(5名)が一致すると結審となる。

 3名の裁判官が同一見解となった場合を仮定すると、民間からは残り2名が賛同すれば結審するわけだ。

 自ら法曹の世界に入ることを希望した上で、最難関と言われる司法試験に合格し、司法修習生として司法研修所で専門教育を受け、その後も判事としてキャリアを積み上げてきたいわゆる裁きのプロと、選挙人名簿から「くじ」で選ばれただけの素人が、互角の論戦になるのだろうか。

 恐らくは、判事からの専門用語連発の詭弁を聞かされ、「何となく説得力ありそうだ」、「さっさと終わらせて解放されたい」という心理が働き、数名がそちらに流れてしまう構図は容易に想像が付く。

 そして、判事への内部的な評価基準は、これまでの如何に数多くを裁いたかから、如何に裁判員を説得したかに変わっていくのだろうか。

 もう一つ、刑事事件においても、被告が無罪を主張している事案を中心に裁判員制度を運用するのであればまだ話は分かるのだが、採用されるのは、殺人事件など数種の重大事件に対してであって、今回の作品にあるような痴漢事件などは対象とはならない。

 作品中の台詞にもあるが、刑事事件の多くは、被疑者が公訴事実を認めたところから開始されるので、犯罪を犯したのか否かを争うのではなく、量刑を争うことになるのだが、この様な裁判は、私は重大犯罪であろうがなかろうが、民間人が出る幕はなく、量刑こそプロに任せるのが妥当だろうと思うのだ。

 冤罪の争点とは、量刑の軽重ではなく有罪なのか無罪なのかなのだから、事案の大小ではなく、この公訴事実の罪状認否で争う事案こそ、民間人のバランス感覚が必要なのだと思うのだが。

 さらにもう一つ、裁判員制度の対象は刑事事件のみに限定され、民事は対象とはならない。

 民事を外した理由は色々調べてもその経緯ははっきりとしないが、諸外国との国益に関わる裁判(自国有利の判決が出やすい)で米国に遠慮したとか、労働関係裁判(これも弱者有利の判決が出やすい)などを恐れる経済界に遠慮したからという説があるようだ。
 一個人を裁く刑事事件などよりも、弱者と強者の闘いになり易いこういった分野にも庶民感覚、一般常識が役立つケースだと思うのだが。

 確かに、今の猟奇的な殺人事件など、重大な刑事事件は、ワイドショー的な庶民の興味を得やすいのは確かだ。
 このような事件の裁判にのみ市民が参加する意味とは何か。

 即、結論となるが、この「市民が市民を裁く」という考え方は、旧東独などの旧東欧諸国で採用されていた司法モデルに近い。

 この様な一個人の犯罪は、実のところ、裁判に誰が参加しようが、逮捕され拘束された時点において、その者が釈放でもされない限り、一般市民の生活には何の影響も無いのだが、この仕組みによって、日々の生活に不満を持っている国民に対してそれなりに有効なガス抜きになったらしい。
 まるで魔女狩りのような発想だ。

 さすが日本、欧米諸国に制度の雰囲気は似せてはいるが、裁判員制度とは、彼等がこの制度を制定した意義を完璧に骨抜きにする全く異なる制度である。
 
 自浄作用も期待できず、新制度も骨抜きであれば、冤罪撲滅には何の効果もないだろう。

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